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ほぼオリジナルの80系トヨタクラウンと不思議な養蚕農家 群馬県六合村赤岩

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群馬県北西部は富岡製糸所を中心とした一大養蚕地域である。蚕室を如何に多く確保するか、多様な形態の養蚕農家や専用の建物が生まれた。六合村赤岩(国重伝建)には、塗籠造りの木造3階建ての養蚕農家が見られ珍しい。その集落で珍しいクルマも発見した。トヨタクラウンの80系である。このクルマ、当時流行った刑事物ドラマにパトカーとして良く登場していた記憶がある。交差点を必ずドリフトして曲がっていた。
画像のクルマは工事現場に置かれたものだったので建設関係の方の所有であろう。大変綺麗でオリジナルの状態を維持されているようだった。

  # by manbo_kurumachi | 2007-05-06 21:27 | トヨタ

切り取られた風景としての白いcube 京都市鷹ヶ峯

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新緑が眩しい季節、古都京都の北山鷹ヶ峯の早朝である。鷹峯三山を眺める絶景の庭園を有する光悦寺や源光庵があり、旧周山街道の町並みが残る。
曹洞宗鷹峯山源光寺の本堂は、元禄7年の創建。本堂内部には、「悟りの窓」と名づけられた丸窓と「迷いの窓」という角窓がある。「悟りの窓」は円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。「迷いの窓」は角型に「人生の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。

その源光寺に対して旧周山街道の向かい海鼠壁をあしらった立派な長屋門があった。中を覗くと門の中心とやや軸をずらした玄関をもつ建物がある。その玄関前に白いnissan cubeがいた。明け方雨が降ったのであろう、石畳とともに車体がしっとりぬれている。門の開口を額縁に見立てれば一服の絵のようだ。京都では建物のみならず玄関先の隅々まできっと手入れがなされている家が多い。そういう家では、クルマも行儀良く停められている。さて、この窓、何と名付けようか。

  # by manbo_kurumachi | 2007-05-03 08:48 | ニッサン

伝統の日本家屋とフェラーリのマッチング 代官山朝倉家住宅

伝統の日本家屋とフェラーリのマッチング 代官山朝倉家住宅_f0137655_1751834.jpg

代官山のヒルサイドテラスの駐車場にイタリアンレッドのフェラーリが停まっていた。背景に見えるモノトーンの日本家屋は朝倉家住宅。イタ車というのはなぜか日本の伝統的なものに似合うのである。これはデザインに起因するのか、それとも見る者が互いの伝統を掛け合わせるためか?おそらく後者であろう。
朝倉家はヒルサイド、つまり目黒川の谷に面する高台の縁にある。この朝倉家の周りは地あがって手付かずの空地がたくさんある。高級外車もたくさん生息している地域である。

  # by manbo_kurumachi | 2007-04-30 17:58 | ヨーロッパ車

戦災を逃れた町は狭い路地 だからチンクチェント 大阪市福島区海老江

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戦災を逃れた町は狭い路地 だからチンクチェント 大阪市福島区海老江_f0137655_2052844.jpg

大阪は主に4回の空襲を受け、中心部のほとんどが戦災を受けている。その中で、川や緑などによって類焼を逃れた地区がある。福島区は非戦災地区が多く懐かしい町並みを残している。海老江3丁目は淀川に近い非戦災地区で、木造の長屋が軒を連ね路地が入り組んでいる。建替えられた民家の玄関先にフィアットチンクチェントがちょこんと座っていた。まるで小犬のように。

  # by manbo_kurumachi | 2007-04-14 20:15 | ヨーロッパ車

SJ30ジムニーは幌を外せばフルオープン  岩手県遠野市

SJ30ジムニーは幌を外せばフルオープン  岩手県遠野市_f0137655_011959.jpg

もう一発掲載しちゃおう。我がジムニーの幌をはずしたところ。トラクターではないぞ!。でもフロントウインドを倒せば気分はトラクターである(公道では倒して走るのは禁止)。
4WDはもちろんパートタイムのため、副変速機で四駆に切り替える前にフロントホイールのハブをロックにしないといけない。副変速機でギア比を下げることができ、そうするとトップでも40km/hしか出ないがすごく力が出るのである。

このジムニーでは、日本全国の林道をたくさん走った。四国山地から九州山地にかけての山岳集落も随分訪ねた。一番の思い出は、長崎から東京を目指して帰るときのこと。筑豊の炭鉱町を訪ねて門司で夕方になった。ここで、財布に1万円も残っていないことに気が付く(当時は銀行のATMは夜引き出せなかった)。さて、どうしようか。名古屋の祖父母の家までたどり着けば何とかなる。選択肢は2通りあった。
①飲まず食わずで高速に乗って朝名古屋に辿りつく。
②最後なんだから晩飯をゴージャスに食べて一般道を走って名古屋に辿りつく。
若き頃の私が腹ペコで走れるはずはなかった。結局、国道2号線をひたすら走る②を選択した。途中、小郡あたりでゴージャスに焼肉を食らった。この日の走行距離は長崎→名古屋全て一般道で1200KM。一般道を続けて走った最長記録である。

  # by manbo_kurumachi | 2007-04-02 00:29 | スズキ

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